思いのほか切れの良いサイドカーを三口で呑み干したあと、ジュラ島のモルトを注文した。
端整な顔立ちのバーテンダーは、優雅な動きで琥珀色の液体をグラスに注ぎ、わたしの前にすうっと置いた。 日本列島の北の方、北海道まであと少しというところにある街のバーにわたしはいた。 日中立ち寄った酒屋の店主に教えてもらったバーで、2杯3杯、4杯5杯と酒を進めていた。 シックな雰囲気の店に立つバーテンダーは、きりりとした横顔の美男子であるが、一言発すれば、それはもうこの土地の特色がよく出た言葉そのもので、逆にそれが好感を抱かせ、わたしはすっかりその店と彼に好感を抱いてしまっていた。 いい加減酔っ払った頃合いに、女性がひとつ席を開けて隣に座った。 聞くと、同じビルに入っている店のママだという。 店が暇で呑みに出ているのかと思いきや逆で、忙しすぎて息が詰まってきたから小休止のためにこのバーに抜け出してきたのだと言う。 歳はわたしより少し上か。 商売用の化粧は濃く、多少骨ばった個性的な顔つきだが、不思議と惹かれるところがある女性だった。 「島根のさ、安来ってとこから出てきたんですよ、あたし」 そんな風に話してくれた。 「なんの因果か日本の西の端っこに近いところから、こんな北の端っこのほうまで来ちゃって」 特別に濃く作ってもらったバーボンソーダをすすりながら続けた。 「ケチな男に騙されちゃってさ、いろいろ連れまわされた挙句、気づけばこの街で一人ぼっち。仕方なくここで店を始めて、かっこ悪いくらい必死な毎日...」 まだ、あのころは二十歳そこそこだったし... ママは、遠い眼をしながら、煙草の煙を深く吸い、そして大きく吐き出した。 バーテンダーは、それを見ているような見ていないような顔で、手元の氷をピックで割っていた。 安来と言えば「安来節」、そして、いい酒を造る蔵もありますね、とわたしは言ってみた。 ママは、ふっと笑い、「安来節ねぇ...なつかしい」と言い、また、煙草の煙を薄暗い店内に大きく吐き出した。 「でもね、あたしはこの街のほうが好きなんですよ。理由もなく居ついた街だけど。安来は、もう安来節は、わたしの体のどこにもないんですよ」 そんな風に言った。 そして、携帯電話を取り出し、どこかに電話をかけた。 「店からお酒持ってこさせるから。この街で一番美味しいお酒。安来の酒より、この街の酒よ」 ママの顔は、バーテンダーとわたしに向かって笑っていながら、少し淋しそうにも見えた。 店の女性が持ってきた酒は、この土地の蔵の醸す大吟醸だった。 これを、ママと、バーテンダーと、わたしと3人で乾杯した。 3人でグラスをかちりと合わせ、酒をを酌み交わし、馬鹿話をした。 愉快な時間が流れた。 遠くから、のんびりとしてユーモラスな安来節が、聞こえてくるような気がした。 どこかで見た、どじょうすくいの光景が、見えるような気がした。
by sora_sake
| 2006-11-01 21:28
| 酒の追憶
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