大学に入りたてのころ、生活費を稼ぐためバイトをしなければならなかった。
先輩に紹介され、自宅アパートから近くにある回転寿司店で働くことになった。 別に、どこでどんな仕事でも良かったのだ。 でも、接客業は自分には向いていないとすぐわかるのだけれど。 ◇ もうすぐ辞める、というバイト店員に、仕事の内容を教えてもらう。 基本は軍艦巻きを客の注文やレーンの様子を窺いながら作ること。 レーンに流れる軍艦巻きをバランス良く作り流すことも大事だが、どれがその日の売れ筋かを見極めて流すことも大事な仕事だった。 「ま、土日以外はそんなに忙しくないよ」 と先輩店員はぽんとわたしの肩を叩きながら言った。 「ヒマなときはさ、社長の目を盗んでタネをつまんでもいいよ」 悪戯っぽく、彼はそう言い、「ま、がんばんなよ」と再びわたしの肩をぽんと叩いた。 わたしは彼の言葉に従い、隙を見ては時折タネをつまんで空腹を凌いだ。 ◇ 「お冷やちょうだい」 ビールですっかり出来上がった顔の中年男性がわたしに注文した。 「お冷や」というものが一瞬なんだかわからなかった。 はて、「冷や酒」のことであろうかと思い、「お酒ですか?」と聞き返すと男性は笑って、「違う違う、呑みすぎちゃったから水をもらいたいんだ」と言った。 なるほど、「お冷や」とは「冷や酒」のことではなく「冷たい水」のことなのか、とそのとき初めて知った。 ◇ 社長は非常に吝嗇な人間で、普段は寛大な態度をとって見せる人間だったが、下で働く人間はみな彼を好いてはいなかった。 偉そうに大きなことを言い、いろいろ仕事を押し付ける割に、賃金も安く待遇も良くなかったから。 カウンターの中でもっとも権力を持つのは社長の次に、「握り」がちゃんとできる寿司職人であるわけだが、彼は開店直後、カウンターの中でわたしと二人きりになりひとしきり客を迎える準備が終わると、ぶつくさと不平不満をわたしにこぼしていた。 「まったく、なんでこんな店で働いているんだか」 というのが毎回の趣旨だ。 彼は、やれ職人に対する賃金が安すぎる、とか、やれ某寿司店に比べて福利厚生がなっていない、とか、やれ休憩所がなくていったいどういつもりなんだ、とかとこぼしていた。 そのくせ社長が姿を見せるとへこへこし、愛想笑いをし、下らない冗談を言い合い笑っていた。 「変な人だ」とわたしは思っていた。 ◇ 働いてしばらくすると、軍艦巻きを“美しく”作ることができるようになった。 均整が取れ、海苔がぴんとし、タネがつやつやと見るからに食欲をそそる軍艦巻きを作ることができるようになっていた。 それを見て職人は、わたしに握りを教えてくれた。 シャリを手に取り、山葵を利かせ、タネと合わせて素早く握る方法を教えてくれた。 「オレが忙しいとき、おまえも握ってくれよな」と彼は言い、わたしも時々握ってみた。 オニイサンの握る寿司、旨いよ。 と客の誰かが言ってくれたとき、ちょっと嬉しさを感じた。 ◇ ある日、バイトを辞めた。 社長に電話して、その辞めたいという意を伝えた。 社長はあっさりと了承し、給与を精算しておくから2,3日後に取りに来るようにと事務的に言った。 わたしは接客業に向いていないことに気づいていたし、社長もわたしが自分の店にそぐわぬ存在であると前々から思っていたようだから、互いの思惑が一致した結果となった。 寒い夜に、ウィンナコーヒーを作ってくれた女の子が寂しがってくれたのは嬉しかったが、まったく悔いはなかった。 ◇ あれからかなりの月日が流れたが、その店はなんとか規模を維持して今も営業を続けている。 「あと2,3年で10店舗まで広げるから」 と社長が語っていたようにはならなかったが、生き残り競争が激しい世の中で、それなりに頑張っているようだった。 わたしがこのバイトで学んだのは、軍艦巻きの作り方と(握りの方は忘れてしまった)、回転寿司屋の裏側と、温かいウィンナコーヒーの美味しさと、「お冷や」の意味だけだったかもしれない。 それでも、それなりに楽しいバイトだったのかな、と今では思う。
by sora_sake
| 2006-11-11 09:30
| 酒の追憶
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